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金谷の民話「名物「飴の餅」のこと」

名物「飴の餅」のこと


江戸時代の小夜の中山の名物に飴の餅があります。
この飴の餅が最初に作られたのは菊川と思われますが、もともと同じ土地の人たちであり、たいらでも峠でも同じように商われたものと思います。

飴の餅というのは、搗き餅を小さくちぎり、だんごに丸め、掌で押して径二cm・厚さ三cmぐらいの煎餅形に作り、それを程よく焼きあげ、皿に五箇取って並べ、熱いうちに上にやわらかな水飴をそえたものです。

明治十七年の記録を見ると、「一つ二厘づつ」とあるので、そのころは一皿一銭だったわけです。
十辺舎一九が「東海道中膝栗毛」を書きあげたのが、享和二年(1803)で、これが江戸で評判になって庶民の旅行熱を一層あおり伊勢参りなどもますます盛んになりました。
したがって、飴の餅を名物として多く売るようになりました。

肩車や蓮台で大井川の激流を渡り、漸く金谷坂を登り切った旅人には、牧之原や菊川の茶店で食べた飴の餅の風味は忘れ難く、これがみやげ話として喧伝され、売れ行きも一段と上がったものと思われます。

これがために中山峠の売り上げが落ち、文化三年には訴訟沙汰が起きました。
そして、共存共栄のために示談が成立し、飴の餅は峠の専売となりました。


※現在は、「家康公の勝鬨餅」として再現された飴の餅が、イベントや特産品販売会などで限定販売されています。

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