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川根の民話「野守の池」

野守の池


今からおよそ七百年も前のお話です。

京の都の建仁寺に疎石という若い僧がおりました。後の夢窓国師のことです。

疎石は学問がすぐれていましたが、顔立ちもひときわりっぱでした。男らしくりりしいまゆ、清くすんだ目、色は白く、鼻すじが通り、誰が見てもほれぼれするような、青年の僧でした。ですから、疎石が町へたくはつに出ると、都の若い女人たちは、ひと目でも疎石の姿を見たいと、それはそれは大変なさわぎでした。

その中でも、「野守太夫」は特別に熱心でした。色白で美しい顔立ちの野守は、「なんてりっぱなお方でしょう。私はどんなことをしても、あの方のお嫁さんになりたい。」と、言っていました。そして何度も何度も、疎石のいるお寺へ行っては「どうか私をお嫁さんにしてください。」とたのみました。

しかし、そのころのお坊さんは、妻帯することが許されておりませんでした。でも野守は決してあきらめようとはしませんでした。雨の日も風の日も、毎日毎日山門をたたき

「どうぞ疎石さまに会わせてください。一生のおねがいでございます。」と、たのみ続けました。

 

疎石はほとほと困ってしまいました。もうこれ以上、寺にめいわくをかけることはできない。私は仏に仕える身だ。いつまでも、こんなことにかかわっていたのでは、大切な修行も、思うようにできない。そうだ、このさい京をはなれ、広く国中をまわって、見聞をひろめてこよう。

こう決心した疎石は、弟子の了玄を連れて、ひそかに旅に出かけました。二人は東海道を下って、金谷の宿に着きました。美しい流れの大井川をながめていた疎石は、遠くかすむ北の山々に目をうつし、ふと家山の里のことを思い出しました。

「私は小さなころ、甲州のお寺にあずけられたことがあった。そこから京都へ帰る途中、家山の里へ寄ったことがある。あそこには、山の緑にかこまれた小さな美しい池があった。それに土地の人たちは、人情に厚く、いい人ばかりだった。そうだ、了玄よ。これから家山の里へ行ってみよう。」こうして二人は家山に足を向けたのです。

家山に着くと、うれしいことに村人は疎石たちを、あたたかく迎えてくれました。

「よくきてくださった。住まいの方は、わしらがめんどう見ますに、どうか村のしゅうのために、いろいろ教えてくだされ。」と、言って村人たちは、二人のお坊さんのために、池の畔に広い境内をもつ、本堂は間口九間奥行七間、それにつりがね堂もそなえている、りっぱな寺を建てて、寺の名を海寿山聖福寺と名づけました。

疎石は大へん喜んで寺に入り池の景色をながめました。池は緑の山のかげを映し、それはそれは、美しいながめでした。そのころ池は二つに分かれていました。本池と小池です。小池は天王山の北側にあって、この二つの池は小さな川でつながっていました。天王山には、たくさんの杉やひのきが、うっそうと茂って、ちょうど古ふんのような形をして、静かに眠っていました。池の波はゆったりと岸辺に寄せては返し、あたかも永遠の神秘をたたえているような感じさえしました。それからというもの疎石は、毎日寺にこもって一心にお経を唱えました。

ある日のことです。聖福寺の門を、とんとん、とたたいている。若い旅の女の人がいました。「私に、女の人だと、はて、どなたであろう。了玄、名前をうかがってきなさい。」

了玄が外へ出ていった後、疎石は立上り、障子を開けて、山門の方を見ると、「あっ。」

とおどろきました。なんと女の人は、忘れようとしていた野守だったのです。

野守は疎石が急に行方知れずになったことを知るといっそう恋しくなって、「疎石様は、一体どこに行かれたのでしょう。」と、必死になって、八方手をつくし、疎石の消息をたずねていました。

そして、疎石がどうやら東の方をさして旅に出たことを知ると、あちらのお寺こちらのお寺とたずねながら、とうとう家山の聖福寺にたどりついたのでした。

了玄から野守のことを聞いていた疎石は、しばらくじっと考えていましたが、ほどなく頭を上げて「野守は女の身で、よくぞ京からたずねて来たもんだ。さぞなんぎなことであったろう。せっかく来たのだから会ってやりたいが、私は仏に仕える身である。それにだいじな修行もある。ここは心を鬼にして、いないことにしよう。」

そこで了玄は、「あんたのいうような僧は、この寺にはおりません。何かのまちがいでしょう。」というと「いいえ、そんなはずはありません。疎石様は、この寺に確かにいらっしゃるはずです。ひと目だけでけっこうですから、どうぞ会わせて下さい。一生のおねがいでございます。」

野守は旅につぐ旅で髪はよごれ、顔はやつれていましたが、愁いを含んだ目、色白のととのった顔立ちは、以前の美しさをうかがうことができました。その様子を見て了玄は、ふびんに思いましたが、師のいいつけにそむくわけにはいきません。

「さきほども申したが、そのようなお方は、この寺にはおりません。ほかの寺をさがしてみなさい。もう日が暮れるから早く帰りなさい。」そういって門を固くしめてしまいました。次の日も、またその次の日も、野守はつかれきった体を、ひきずるようにして、寺の門をたたきました。何日かすぎたある日の夕暮れ「どうか疎石様に会わせてください。おねがいします。私のねがいを聞いてください。」

了玄はことわっても、ことわっても必死になって訪れる野守の姿に、あわれを感ぜずにはいられませんでした。

「何度も申したように疎石様は、この寺にはおりません。はるばる京の都から訪ねてこられて、さぞ力を落とされたことであろう。たとえ、あなたがどこまで訪ねて行かれても、修業の身であり、僧侶である疎石様は、あなたを妻としてむかえることはできないのだから、どうかあきらめて、京に戻り幸せに暮らしてください。」

了玄のことばを聞いているうちに、野守は自分の望みが、とうていかなえられないことが次第にわかってきました。悲しみの涙が、はらはらと流れてくるのをどうすることもできませんでした。

「そろそろ月も昇り始めた。夜つゆがからだにさわるだろう。気をつけて早く帰るがよい。」

了玄は、悲しみにくれる野守を見つめていると心が痛みましたが、気を取り戻して、山門の扉を静かに閉じました。

暮れていく木立のかげで、懇々と諭す了玄と、涙にくれる野守のあわれな姿を、じっと見つめていた疎石は、僧侶の身とはいえ、人間として苦しまずにはいられませんでした。

とぼとぼと去って行く野守の後ろ姿に疎石は、いつまでも合唱して立ち尽くしておりました。

山門を離れた野守は、今さら京へ帰る気力もなく、張りつめていた心もゆるんで、池のほとりをとぼとぼと歩いていました。髪を乱し、肩を落として歩く野守の姿を、月の光がいっそうあやしくも美しく照らしていました。

「いとしい疎石様、ごめいわくをおかけしました。どうぞお許しください。さようなら。」

野守は、そでのたもとに石を入れると、静かに池に入って行きました。野守には、空にかかる月が、あたかも自分を手招きしているように思えました。

やがて野守の姿は、池の中へ消え去りました。月は何事もなかったように、その淡い光を池に注いでいました。

あくる朝、野守の死体は池に浮かびました。それを聞いた疎石は、じっと天をみつめていましたが、やがて静かにつぶやきました。

「かわいそうな女よ。この私を慕うがゆえに、たった一つしかない尊い命を捨ててしまった。私とて、決してお前をきらいなわけではなかったのだ。思えばあわれな女であることよ。許してくれ。野守よ。」

疎石は、野守の遺体に向って合掌しました。そしてなきがらをていねいに葬りました。

 村人たちは、それからこの池を、「野守の池」と呼ぶようになりました。


現在の野守の池はへらぶな釣りの名所として有名です。また夏は野守まつりの会場として賑わい、春は池周辺のしだれさくらが訪れる人を楽しませます。

■野守の池

 

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