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金谷の民話「日本左衛門の首塚」

日本左衛門の首塚


金谷町誌稿の「口碑(こうひ)伝説」の項に日本左衛門の墓として次のようにあります。

「日本左衛門は強盗なり。その妾は金谷の者なりしかば、日本左衛門が見付(いまの磐田市)の梟首(きょうしゅ)(さらし首)せるるや、一夜妾その兄と共に首級を盗み来たり、秘かに葬りたる所、字八軒屋(いまの東町)の宅円庵にあり」

日本左衛門は本名を浜島庄兵衛といい、京都某家の浪人だと言われています。

美濃、尾張、三河、遠江(とおとうみ)、駿河、伊豆、伊勢などの国ぐにを仲間とともに荒らし回った押し込み強盗の首領です。

なお、日本左衛門について「浅羽風土記」から引用します。

「日本左衛門が民家に押入る時は、手下を幾組かに分け、彼等は黒装束に両刀をたばさみ、幾組もの御用の高張で家の中を昼の様に照らして財物を物色させた。
元凶の日本左衛門は、程よい場所で床 にかかり左右に若覚草履取(わかとうぞうりとり)を侍らせ、その服装は黒の琥珀織の装束に、ぶっさき羽織を着、赤地の錦 の半襟をかけ、その他胸かけ上帯篭手脛当など、何れも赤地の錦地を用い、堂々たる大名まがいの風体であったという」

日本左衛門が刑に処せられたのは延享四年(1747)ニ十九歳でした。


【日本左衛門の首塚】


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■日本左衛門の首塚(宅円庵)

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