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川根の民話「了玄の経橋」

了玄の経橋


むかし、京の都に夢窓国師という大層えらい和尚さんがおりました。その国師が「疎石」と呼ばれた、まだ若いころのお話です。修行のため、弟子の了玄を連れて京を出立した疎石は、行き先を子供のころ立ち寄ったことのある家山の里に決めました。

家山の地に落ちついた疎石は、幼心に映った美しい野守の池の畔に庵を構え、熱心にお経を唱えたり、托鉢に出かけては、村人に説法をしたりしました。

こうした修行に明け暮れる疎石の様子は、たちまち村中の評判になりました。そして、京から立派な和尚さんが来られるということで、村人たちは聖福寺という大変立派なお寺を建てて、もっともっと教えを請うことになりました。

疎石は、大層喜んで、村人たちの温かい心に報いるためにも、了玄と手伝いの僧の了順と共に、一層修行に励みました。村人たちも何か困ったことがあると、聖福寺に集まっては、和尚さん法話を受けることも、たびたびでした。

こうして、家山の里で長い年月、修業を積んだ疎石は、「日本国中には、まだまだ立派な和尚さんが大勢おられるにちがいない。もっと修行をしなければ・・・。」

「そうだ、もう一度、日本国中を回ることにしよう。」そう、決心した疎石は、住み慣れた家山の地を離れることにしました。二、三日前から降り続いていた雨も、すっかり晴れあがって、境内の杉小立の中は、ひんやりするほど気持のよい朝です。

今日は、いよいよ疎石と了玄が出立する日です。この話を聞いていた村人たちは、まだ薄暗いうちから大勢、お寺につめかけていました。赤ん坊をおんぶった母親、野良着姿の男衆、手ぬぐいを片手に杖を持った年寄りなど、境内は、それはそれはにぎやかなものでした。

「和尚さんには、まっとこの寺に居てもらいたいもんだかのう。」

「何とか、お引き止めすることは、できんだったかのう。」

「ふんとに、惜しいことだけえが、これも和尚さんの修行のためじゃでなあ・・・。」

 ああこう、ささやき合っているうちに、端正に旅支度を整えた疎石と了玄が姿を現わしました。その後ろには、荷物を抱えた了順もいます。二人の姿に気づくと、今まで、ざわついていた境内は水を打ったようにシーンと静まりました。

村人たちを前にした疎石は、深々と合掌すると、一人ひとりの顔をじっと見渡していきました。そして、穏やかな口調で最後のお別れの法話をすると、村人の中には目頭を押さえる者やすすり泣く声さえ聞こえてきました。それを見ていた疎石の胸にも、思わず熱いものがこみあげてきました。

話を終えた疎石は、再び村人たちに手を合わせていねいにおじぎをすると、寺を後にしました。いつしか、朝日が三人の旅立ちを見送るかのように、さし始めてきました。

三人は、大井川にさしかかりました。二、三日前からの雨で、川は水かさを増し、濁流が、ゴーゴーと音を立てて流れていました。

「ひどい水かさだ。和尚様、これでは、とうてい渡ることはできません。」

了玄は、心配そうに言いました。見送りについて来た大勢の村人も、疎石のそばに駆け寄って、「和尚様、この大水じゃあ、何にしてもご無理なことじゃ。もう少し、水が引いてからにしたらどうかのう。」と、引き止めようとしました。

疎石は、しばらくの間、じっと濁流を見つめていましたが、たもとから数珠を取り出すと合掌をし、静かにお経を唱え始めました。

「かんじーざいぼーさつ、ぎょうじん、はんにゃあーはーらーみったー・・・・。」

了玄をはじめ、周りの人々も、じっとこの様子を見守っていました。

やがて疎石は、持っていた経本を取り出すと、向こう岸めがけて、「えいっ。」と、投げつけました。経本は、さらさらっと広がり、なんとこちら側から向う岸へと経橋ができたのではありませんか。

村人たちが、あっと驚くまもなく、疎石は、すでにお経を唱えながらその橋を渡りかけていました。すぐさま、弟子の了玄、そして了順と渡り始めました。

「ぎゃあてい、ぎゃあてい、はーらーぎゃあてい、・・・・」

お経の橋は、三人が渡ってもびくともしませんでした。

村人たちは、経橋を渡っていく三人を見つめて、あれよ、あれよと指さしながら、ただ唖然としているだけでした。「・・・はらそうぎゃあてい、ぼーぢーそわかー、はんにゃあしんぎょうー」

三人の唱えるお経の声も、ゴーゴーと鳴る大井川の激流の音に、時々かき消されそうになります。

「どうか。ご無事で向う岸へ着きますように・・・。」

村人たちも一心に祈り続けました。川原に座って祈る者、両手を合わせて祈る者、親子抱き合って拝む者など様々です。

ようやく、橋を渡り終えた疎石は、「懐かしい家山の里とも、いよいよお別れになるのか・・・。」と、ふと思ったその時です。

荷物を持っていた了順が、どうしたことか、ふらふらっと足元を乱して落ちそうになりました。すぐに気がついた了玄は、素早く手を差し出して、片腕をつかみました。しかし、すでに片足を踏みはずした了順を助け上げることはできず、二人は、抱き合うようにして、濁流の中に落ちてしまいました。

この様子を見ていた村人たちは、たちまち蜂の巣をつついたように、大騒ぎになりました。「了玄さまー。」「了順さまー。」

村人たちは、てんでに大声で叫びながら、土手の上や川原伝いに駆け下りました。

「了玄さまー。了順さまー。」

助けを求める間もあらばこそ、頭や腕が二度三度、波の上に出ただけで、あっという間に二人は、波に呑み込まれてしまいました。

 村人たちの大声で、はっと振り返った疎石眼に、もがきながら流されていく二人の姿が映りました。疎石は、川下に向って一心不乱にお経を唱えました。

やがて、疎石はこみ上げてくる涙をこらえて、じっと天を仰いでおりました。

幾日かたって、二人の死体は、下流の高熊の辺りで見つかりました。

疎石と村人たちは、深く悲しんで、手厚く葬ってやりました。

その後、村人たちは、二人が川に落ちた近くに、石碑と小さなお堂を立てて供養をすることにしました。それで、この辺りをいまでも「了玄」という地名で呼んでいます。

 

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