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川根の民話「江松峠の笑い仏」

江松峠の笑い仏


笹間から島田市西向に行く途中に江松峠があります。

晴れた日、ここに立つと南には駿河の海、東に富士山や箱根の山々、北に南アルプスを望むことができます。

いつのころからか、この峠に石の仏様が建てられておりました。きっと旅をする人々の無事を祈って建てられたのでしょう。仏様は、からだも顔もこけむしていました。それでも大変なさけ深い目で、旅人の往来を、じっと見つめていました。

あるとき、この峠でこんなことがありました。

「じいちゃん、それじゃあいくよ。」

「きっと迎えに来てね。」

「迎えに行くとも、じいちゃんが一生けんめい働いて、お金がたまったらきっと迎えに行くとも、それまではからだに気をつけて、向うの家の人のいうことをよく聞いて働くのだよ。」

 おはなは、目にいっぱい涙をためて、じいちゃんの顔を見上げました。じいちゃんは、おはなをしっかり抱き、泣くのをじっとがまんしていました。

おはなは十才、江松峠のすぐ下の村で幸せに暮していたのでしたが、父や母がはやり病気でなくなってしまい、年とったじいちゃんと二人きりになってしまったのです。毎日の生活はとても苦しく、三度のご飯も二度しか食べられない日もありました。

そのために、おはなはこの峠を越え、伊久美を通って島田の町へ子守にだされることになったのです。

 悲しい別れでした。

じいちゃんは、おはなの姿がすすきの穂の波の中に消えるまで、手をふり続けていました。

 その二人の様子を、仏様はじっと見ていました。

一年、二年、おはなは別れたじいちゃんや、ふる里がなつかしく、朝起きては北を向い

て手を合わせ、夕方になると笹間の方の山々を眺めて涙を流しました。

しかし、じいちゃんはいつまでたっても迎に来てくれませんでした。

三年たちました。

おはなは、しばらくおひまをいただいて、一日として忘れなかった笹間の村へ帰って来ました。喜んでふる里へ来たものの、じいちゃんはもうこの世の人ではありませんでした。じいちゃんのいない家はすっかり荒れはてていました。

おはなは、泣く泣くもとの来た道を引き返す途中、江松峠の仏様の前に来ました。三年前の別れは、それでも達者だったじいちゃんがいたのに、今はじいちゃんも死んでしまったので、悲しさはいっそうつのり、泣き伏してしまいました。

おはなの、かわいそうな様子を、仏様はじっと見ていらっしゃいました。

この峠の、仏様の前でどれくらいの人たちが悲しい、つらい別れをしたのでしょう。仏様は暗いさみしい気持ちになり、人の世の無情をしみじみお考えになりました。

仏様は、人々のために笑いをおさずけしようとお考えになりました。

しばらくして、「江松峠の仏様は、通る人を必ず笑わせる。」と、うわさが広まりました。

このうわさを聞いた源助さんは、半信半疑でここを通りかかりました。

すると、どうでしょう、笑いがこみ上げてきて、どうしようもなく苦しみました。

村に帰って近くの万平さんに話したところ、「そんなことがあるものか、おれは馬に乗って笑わずに通ってみせる。」といい、翌日馬にまたがり意気揚々と江松峠へやって来ました。

「どれほどのことがあろうか。」

と仏様の前を通るか、通らないうちに、おなかの底から笑いがこみ上げてきて、どうしようもなくなりました。ワッハッハ、ワッハッハ、・・・と笑いつづけ、とうとう馬からころげ落ちてしまいました。馬はと見れば、馬もからだを横にして身をよじり、笑うような声でいなないていました。

このようなことが続いたので、江松峠の仏様は笑い仏というようになりました。それからは、ここを通るどんな人でも、笑わずにはおかないようになりました。

仏様の尊いご慈悲とはいえ、峠を通る人の中には、子供がなくなったとか、親がなくなって、悲しくて悲しくてたまらないという人も、大勢いたので、笑わなければならないとは、かえって苦しいおしおきのようになってしまいました。笑わずにはいられない苦しみの連続に、「仏様を地の中にお埋めしたらどうだろうか。」

と、相談の結果、三尺ほどの深さの穴を掘り、埋めてしまいました。

こうして、仏様を埋めてから、人々はむりに笑わされることから救われました。仏様を埋めたあとには、石碑が建てられ、笑い仏の碑というしるしがされました。

 

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