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法林寺と伊佐新次郎
所在地 島田市阪本4120
電話番号 なし(住職は不在です)
営業時間
休業日
入場料
駐車場 あり
ジャンル
歴史
神社・仏閣
施設説明

幕末三舟の書の師 伊佐新次郎。伊佐の遺墨、遺品を残す法林寺


■法林寺 

曹洞宗 敬満山 法林寺は「谷口の愛染めさん」で親しまれる、寺院です。

初代駐日米国総領事ハリスに「唐人お吉」を世話した伊佐新次郎の墓と記念碑があり、また、伊佐の遺墨、遺品、幕末三舟といわれた勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟らとの繋がりを示す手紙等が法林寺に残されています。

本堂前には「唐人お吉像」が建てられています。


■伊佐(新次郎)岑満(いさしんじろうみねまろ)

15歳の時に幕府金同心見習となり、その後、下田奉行、具定奉行、海軍奉行等の幕府の要職を歴任しました。

岑満は、若くして書、仏典、漢籍を修め、短歌や蘭学も習得

しており特に書は小島成斉に師事し、通称は新次郎、如是(にょぜ)と号し、草書を得意としました。

岑満の書の名声は高く、幕末の三舟、勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟に書を教授、金原明善等の明治の逸材たちも数多く岑満から学んでいます。

岑満は、明治元(1868)年駿府に移り、明治9(1876)年牧之原移り住みます。

牧之原への入植後は、67歳という年齢のため開墾には従事せず、開拓士の子弟に塾を開いて教えるようになり、私塾は明治23(1890)年頃まで続いたと言われています。

岑満は、明治24(1891)年11月82歳で卒去

■如是(にょぜ)の一筆書き

墨をたっぷりとつけ、たたきつけるように、墨が飛び散る勢いそのままに、一気に書き上げる躍動感じあふれる一筆書きです。


【関連WEBサイト】

■島田市ホームページ内 島田市博物館収蔵品のページ

 

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交通案内
公共交通機関 島田駅北口バス停3番乗り場 しずてつジャストライン島田静波線 静波海岸方面行き乗車、谷口辻バス停下車、徒歩約15分(1.1km)
島田駅より9分(4.1km) 島田大橋を渡る。谷口原茶業協同組合前交差点を左折200メートル
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